情を騙るなというけれど

鉄は熱いうちに打つ

元気が出るライブのレポではない自意識ポエマーの個人的な何か

私が初めてライブを生で見たのは、ミュージカルテニスの王子様でした。

ファーストシーズン最後の舞台であるドリームライブ7thを見るために初めて遠征をし、開演30秒で飛び出してきた越前リョーマの姿に号泣した思い出があります。それから何回かテニミュ遠征をしましたが、ドリームライブではいつもオープニングで泣く癖がついたようです。

だから、私は関ジャニのライブでもきっとすぐ泣いてしまうと思っていました。でも実際に泣いたのは、ライブ会場から出て数時間後、帰り道オリオン座を眺めていた瞬間でした。

 

だいぶ私個人の話になります。私はアニオタであり平成特撮オタであり若手俳優も応援している人間です。節操なしとも言えます。

そしてそんな私の趣味を家族や親せきはあまり快く思っていません。特に家族とは中高の時はそれはもう激しい戦争を繰り返した結果、今はなんとか折り合いをつけて生活をしています。親戚には会うたびに冗談交じりで「もう『病気』は治ったの?」と聞かれることがあります。そのたびに私はにこにこと笑って流します。

私にはジャニヲタのいとこがいて、彼女も同じ位白い目で見られています。私の親はジャニーズも嫌いで、私に「ジャニーズだけはやめてね」と繰り返し言い続けていました。だから私は中高生の頃、クラスのジャニーズ好きのクラスメイトを見ながら「私はジャニーズにハマっていないからまだ大丈夫」と思い続けていました。最低なことに。まったくもって愚かなことに。

変わらないんです。何かが好きで、それにお金を規格外に注ぎ込んで、生活がそのこと中心で回っていて、例えばすごく嫌なことがあってもそれがあるからもうちょっと生きていこうと思える。そういう『趣味』がある時点でアニオタもジャニオタも何も変わらないんです。社会のマナーや個人の好き嫌いはあるでしょうが、何かのオタクである、という「属性」のみで他人を貶めてはならない。私はこの基本的なことに気が付くのが、オタクであるにも関わらずとても遅かった。

だから関ジャニに触れて「いい」と思った瞬間からずっと罪悪感を覚えていました。勝手に無意識にジャンルでマウンティングを取っていた厚顔無恥さ、触れてみないとその素晴らしさに気が付かない鈍感さ、そしていざ気づいてみるとあっさりと手のひらを反す軽薄ぶり。その全てにずっとどこかで申し訳ない気持ちを抱えていました。「あんなに否定的だったのだからあまり楽しんではいけない」「私なんかがファンだと言ってはいけない」とすら思っていました。それは昨日、元気が出るライブの初日にドームの座席に座ってからも私の心に住み続けてました。

 

ドームの中は当たり前のように関ジャニのファンしかいません。来る途中に混んだ電車の中で控えめに刺さった白い目も、歩いているときに聞こえた忌々しそうな舌打ちもあの空間には存在しません。親に対する「友達と遊びに行ってくる」とお互いが傷つかないように吐く嘘も存在しません。一歩出れば「属性」によって社会いろんなレッテルを貼られる私達も、あの空間では思い切りありのままの欲望を、狂喜を、よく解らない衝動をさらけ出すことが許される。

それはあまりにも、5年前初めてのドリームライブで感じた感激と似ていて、私はそこでも強い罪悪感を覚えてしまいました。

初めての関ジャニのライブは言うまでもなく最高でした。ひたすら激しい感情の渦に揉まれながら、とにかく少しでも多くこの瞬間を脳に刻み付けたい、私の愚鈍な海馬をどうにか覚醒させてやりたい、そんなことを考えてしまうくらい素晴らしい時間でした。

 

終わって、1時間かけて地下鉄に乗り、3時間飲んで感想会を開き、べろべろになりながら夜道を歩いていたのはもう11時でした。

家が山の中にあるため、深夜には結構はっきりと星が見えます。特に昨日は晴れていて、見上げると冬のオリオン座がくっきりと見えました。酔っぱらったポエム野郎だったので「今存在するかすら解らない星を結んで図形作って神話まで乗せちゃう星座と、無意味かもしれない一挙手一投足を結んで自分だけのアイドル像を作るジャニヲタ宗教と何も違わない…違わない…」と思いながら歩いていました(今は解りますが流石にそれは違います)。そんなとき、ふとMCのすばるさんのコメントが蘇りました。

「今日のライブを聞いて、皆の心に残った何かが、今日僕らが伝えたかったことです」

思い出した瞬間、あんなに狂ってたライブ中でも流れなかった涙が急にこみ上げてきました。

今日感じた楽しさや感動や笑いやその他諸々名前が付かない衝動の数々、家に決して持ち込めない隠さなければいけない何か、罪悪感を抱き続けながら感じた全てを、「伝えたかったこと」と言われたことで許してくれたように思えました。

すばるさんは当たり前ですが、あの時いたファンのライブ感想なんて全く知らなかったでしょう。中には否定的な意見や本当に伝えたかった何かとは程遠い感想を抱いたものもあるはずです。でも知らないのに、理解できてないのに、その全てを肯定してくれたんです。「いいよ、それが伝えたかったことだよ」と。中高の時無知と愚鈍さから抱いていた間違いを、それに対する答えを、その一言で無責任にあっさりと提示してくれた気さえしていました。今考えると完全に酔っている人の思考なのですが、自意識激高人間はそこで初めて罪悪感が少し薄まった気がしました。感動してもいいんだ、楽しんでもいいんだ、という単純な事実に冗談抜きで泣きそうになっていました。

夜道で泣くのは流石にと思って必死にオリオン座を見上げていたら、嘘みたいなタイミングで、人生初の流れ星を目撃しました。思わず笑えるくらいすごいタイミングだったので、そのまま笑いながら泣いて歩いていました。家で家族が全員就寝してて本当に良かった。

 

これからも私は無意識に誰かを貶めたり、社会に引け目を感じながら生きていくんだと思います。でもそのことを仕方ないと諦めることはしたくありません。あの無責任な肯定と、ライブで感じた希望を忘れない限り、それらを全て放棄するのは嫌だなと思います。

レッテルを貼って攻撃することよりも、無責任な肯定に救われたことをずっと覚えていたいと思います。

 

 

次回、もっと欲望に正直に「関ジャニ∞に似合う平成仮面ライダー」について考えてみたいと思います!